はくすいろ
『白水路』は、百年ほど前、水の無かった草部南部地区で米づくりを行うため、後藤廣太(ひろた)氏(1875~1953年・芹口生まれ)が尽力して完成させた用水路です。
江戸時代に坂梨村(現阿蘇市一の宮町坂梨)の園田季光(すえみつ)氏が失敗した用水路計画を、水源やルートを変えて成功させました。
自分のお金で用水路を完成させ、160ヘクタールにおよぶ水田を開いた功績に感謝した地域住民により、草部吉見神社の駐車場前の広場には、石碑が立てられています。
水路の出発点(木郷のダム)から宮原の分岐点(ここから宮原・灰原と芹口方面へ分かれます)までは約5kmで、高低差は5m。一度水を止めると、分岐点まで再度水が流れ込むまでに1時間程度を要するほど 勾配は緩やかです。
最初は水稲のために引かれた水路ですが、現在では水の契約販売を行い、農産物(トマトやメロンなど)や花卉栽培(ハウス)、ブロイラー飼育などにも使用され、利用が多様化しています。
また、2015年12月、高齢化などにより米づくりができなくなり 荒れていく草部の農地を守るため、「個人の農地は個人で守る」という考えから、「地域の農地は地域で守る」、そして、地域の活性化をめざしたい!という想いで立ち上がった7人の農業者により、「農事組合法人 奥阿蘇くさかべ」が設立されました。
法人が育てた棚田のお米は、後藤廣太氏への感謝の想いを込めて「百年の恵」と名付けられ、高森町外にて販売されています。